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今でこそ、副業で転売を始め、短い時間でそこそこの収益を上げていますが、ここに至るまでには紆余曲折がありました。副業デビューは、38歳で会社員だった頃の日払いバイトから始まりました。
当時、私は会社員として働いていましたが、どれだけ頑張っても年収はせいぜい400万円。それ以上の収入を得る未来が見えず、正直に言って絶望していました。「こんな働き方を続けても将来は明るくない。だったら独立して自分の力で稼ぐしかない!」と決心し、会社を辞めて個人事業主として独立する道を選びました。
独立の甘い夢と現実の厳しさ
独立後の生活は、甘い夢とはほど遠いものでした。最初の1年間、がむしゃらに働いてみましたが、結果的に残ったのは100万円の借金だけ。収入は少なく、生活費すらままならない状況で、知人の社長に無理を言って60万円ほど借りて何とかしのぎました。「これ以上迷惑をかけるわけにはいかない」と思い、独立を諦める決断をしました。
再び会社員に戻ることを決めましたが、再就職先の給与は前職よりも10万円も下がりました。しかも、借金の返済はまだ残っています。家庭では、独立に反対していた妻に顔向けできず、子どもたちにも辛い思いをさせてしまいました。自分の判断ミスが招いた結果だと痛感する日々でした。
Wワークの決意:18年ぶりのアルバイト挑戦
「せめて借金だけでも早く返済しなければ…」そんな切実な思いから、再就職先の仕事と並行して日払いバイトを始めることにしました。アルバイトなんて学生時代以来、実に18年ぶり。ある意味、就職活動に近い緊張感がありましたね。「果たして自分にできるだろうか?」と不安になりつつも、行動するしかありませんでした。
初日の軽作業:意外と爽快だった汗の記憶
最初に挑戦したのは、日払いの軽作業バイト。登録制のバイトで、仕事内容は土木作業や引越しの手伝いなど様々です。初日は事務所移転作業でした。机や書類を運んだり、家具を配置したりといった単純作業で、半日ほどで終了。「なんかいい汗かいたな」と感じるくらいで、運動不足の私にはちょうど良いリハビリになりました。
「あれ?意外とバイトって楽しいかも?」そんなふうに思ったのも束の間。次のバイトが、私にとって地獄のような体験になるとは、このとき全く想像もしていませんでした。
人生最大の地獄:引越しアルバイト
2回目のバイトは、これまでの人生で最も筋力を使い、精神的にも追い詰められる経験となりました。それは、引越しのアルバイト。学生時代に何度か引越しバイトをしたことがあり、きつさは覚悟していましたが、今回の現場は桁違いでした。
引越し先は公営団地の6階。そして、エレベーターがないのです。普通なら台車を使って重い荷物を運ぶことができますが、階段での作業ではそれも使えません。冷蔵庫や本棚、タンスなど30キロ以上の荷物を、ひ弱な体で何往復もして6階まで運ぶのは、もはや拷問に近いものでした。
私は体重54キロのひょろひょろ体型で、力もたいしてありません。それに加えて、作業日は7月の真夏日。汗が滝のように流れ、体力がどんどん奪われていきました。重たい荷物を肩に担ぎながら、「これで死んでしまうかもしれない」と本気で思った瞬間もありました。
心が折れた冷蔵庫の一往復
特に苦しかったのが冷蔵庫の搬入です。ガタイのいい引越し会社の担当者は怖い顔つきの兄ちゃんで、私が「無理です」と言うたびに、「お前、なめてんじゃないぞ!」と怒鳴りつけてきます。萎縮しながら必死に持ち上げ、6階まで冷蔵庫を運んだとき、心が完全に折れました。
仕事を終えて帰るころには、駅まで歩く体力も残っておらず、公園のベンチに倒れ込んで動けなくなりました。その日はしばらく放心状態で、何も考えられないまま、ただぼんやりと時間を過ごしました。
その後の試練:建設作業の日雇いバイトで臨死体験
引越しアルバイトで地獄を見た私は、「もう二度と引越しはしない」と心に誓い、次に選んだのが建設作業の日雇いバイトでした。仕事内容は引越しほど過酷ではなく、土木作業や軽い力仕事が中心でした。休日の土日はほぼ出勤し、借金返済のために稼ぎ続けました。
真夏のぎっくり腰:働きすぎの代償
順調に思えた建設バイト生活ですが、ある日、大きなアクシデントが起きました。それは真夏の炎天下、スコップで土を掘っていたときのことです。腰に「ゴキッ」と音が響き、激痛が走りました。人生初のぎっくり腰です。仕事を始めたばかりだったので、途中でリタイアせざるを得ませんでした。
無理をして働きすぎたツケが回ってきたのかもしれません。この出来事をきっかけに、私はさらに体調を崩し始めました。その後も仕事は続けましたが、過労の影響か軽度のメニエール病を発症しました。これは耳の疾患で、めまいや耳鳴りが主な症状です。「働かなければ」と無理を続ける一方で、体が少しずつ限界を迎えているのを感じました。
高層マンション建設現場でのスリリングな日々
そんな中、ある日の日雇い現場は高層マンションの建設現場でした。足場を組んだり、資材を運んだり、建物の修復作業をするのが主な仕事。地上から100メートル以上の高さで作業をするため、安全帯(命綱)を装着して作業するのが原則でした。しかし、真夏の暑さとメニエール病によるめまいの中で、集中力は削がれていました。
運命の瞬間は、足場を歩いているときに訪れました。一瞬のめまいで足を滑らせ、体がぐらつきました。「終わった…」と思った瞬間、安全帯をつけていなかった私は、もう一歩で落下するところでした。間一髪で足場にしがみつき、命拾いしましたが、あの時の恐怖は一生忘れられません。
命を危険にさらした副業の教訓
建設バイトは決して楽ではありませんでしたが、今回の臨死体験を通じて改めて感じたのは、健康と安全の大切さです。いくらお金が必要でも、体や命を危険にさらしてまで働くことは間違っています。この出来事は、私にとって「副業のあり方」を見直すきっかけとなりました。
トリプルバイトの地獄体験:本業、販売アルバイト、郵便局深夜バイト
建設現場での危険な体験を経て、「もう命の危険がある仕事はやめよう」と決心しました。そこで、新たに始めたのが量販店でのメーカー販売応援や品出しのアルバイト。時給が良く、体への負担も軽い仕事でした。
しかし、私は1年間で借金100万円を返済することを目標にしており、家族の生活費や自分の小遣いを補填する必要もありました。そのため、月に最低でも10万円以上を稼ぐ必要があり、「もっと効率的に稼げる方法はないか」と考えた結果、年末年始にトリプルバイトを実行することを決めました。
年末年始にトリプルバイトを決行
年末年始は郵便局が深夜の短期バイトを大々的に募集します。本業の会社も年末は休みになるため、「このタイミングなら一気に稼げる!」と思い立ち、昼間は会社員、夜は郵便局、そして週末は販売アルバイトの三足のわらじを履くことにしました。
スケジュールは以下の通りです:
- 平日昼間:本業の会社員
- 日曜、水曜、金曜の夜:郵便局の夜間仕分け作業
- 土日:量販店での販売応援アルバイト
特に年末年始は郵便局の仕分けバイトが忙しく、深夜帯でも大勢のアルバイトが集まります。「これは稼げる!」と意気込んで働き始めましたが、現実は甘くありませんでした。
36時間連続労働の地獄
トリプルバイトをしていた中で、最もきつかったのは金曜から土曜にかけての36時間連続労働です。
- 金曜日:朝から会社員として勤務し、夜7時に仕事を終える
- 金曜深夜:そのまま郵便局の深夜仕分けバイトへ直行し、朝まで作業
- 土曜日:フラフラの状態で量販店の販売応援バイトへ向かい、夕方まで勤務
この36時間は、体力的にも精神的にも限界でした。特に、郵便局での仕分け作業は単純作業が延々と続き、睡眠不足の頭には地獄のように感じられました。そして、土曜日の販売応援では、笑顔を作るのも辛い状態で接客をこなさなければなりませんでした。
最終的に、土曜の夜には体力が尽き果て、家に帰るなりそのまま倒れ込むように眠りました。あの瞬間、「働いてお金を稼ぐ」という行為の意味を深く考えさせられた気がします。
トリプルバイトの成果と教訓
確かに、トリプルバイトの結果として目標金額に近づくことができました。しかし、この経験を通じて得たものはお金だけではありませんでした。「体力の限界を超える働き方は持続しない」「効率よく稼ぐ方法を考えるべき」という教訓を得たのです。
それ以降、体に無理をさせすぎる働き方を見直し、より効率的に収益を上げられる副業を模索するようになりました。現在では、転売を中心とした副業にシフトし、体力的な負担を減らすことができています。
借金100万円、ついに返済完了
こんな無茶な働き方を続けながら、なんとか10ヶ月で100万円の借金を返済することができました。終わりが見えたときは、心の底からホッとしました。それと同時に、「これ以上は無理だ」と体も心も悲鳴を上げていたのを覚えています。
借金返済後は、さすがにペースを落とし、毎週土日のアルバイトをやめ、月に4回程度の副業に切り替えました。それでも当時の経験は、今の自分にとってかけがえのないものとなっています。